骨董コラム:古染付(こそめつけ)の「呉須」と虫喰い――釉薬の収縮率が成す「欠け」の必然
2026.04.13
「縁がボロボロに欠けているこの皿に、本当に価値があるのか」
荻窪の拠点を出て、環八の渋滞を抜けながら世田谷の瀬田や上野毛の邸宅街へ車を走らせる。あるいは甲州街道から調布、狛江、三鷹の境界を越えて現場に向かう際、私の視線にあるのは常に「組成の不一致」がもたらす現象です。蔵の整理現場では、縁が虫に食われたように細かく剥げ落ちた染付(青花)の皿が現れることがあります。多くの方は「手入れの悪い破損品」と判断されますが、私がその縁(ふち)に触れた瞬間に確認するのは、過失による欠けではなく、成形土と釉薬の熱膨張率の差が生んだ「虫喰い(むしくい)」という物理的な証拠です。
今回は、2018年に杉並区内のお宅で、五客一組の小皿に対して300,000円という査定額を提示した実例を軸に、 中国美術 磁器としての古染付が現在の国際市場においてどのような論理で評価されているのか。呉須の組成と釉薬の剥離からその理屈を記します。
呉須(ごす)の組成:天然コバルトに含まれる不純物の深度
古染付、特に明代末期の景徳鎮民窯(けいとくちんみんよう)で作られた器の鑑定において、判定基準となるのは「筆致」以上に「発色」です。当時の呉須は、現代の精製された酸化コバルトとは異なり、鉄やマンガンを多量に含んだ天然の鉱物顔料です。
この不純物こそが、古染付特有の「沈んだ青」を生み出す物理的な正体です。精製されていない呉須は、焼成時に釉薬の中で均一に溶けず、一部が黒褐色に沈殿します。これを「鉄錆(てつさび)」や「錫皮(すずかわ)」と呼びますが、この不純物の混入度合いが、光を当てた際の青の深度を決定づけます。こうした組成の妙は、 東京国立博物館 に収蔵される明代の磁器群においても、その時代背景を裏付ける重要な指標として確認できます。
2018年の杉並の現場で提示した300,000円という数字は、単なる意匠の多寡ではなく、この呉須の沈殿が理想的であり、地肌(白土)に深く食い込んだ青の粒子が、現在の国際市場の需要と合致していたことへの回答です。
虫喰いの工学:釉薬と胎土の収縮率の乖離
古染付の最大の特徴とされる「虫喰い」は、保存状態の良し悪しではなく、製造段階で組み込まれた物理現象です。当時の景徳鎮の土(胎土)と釉薬は、現代の磁器のように完全に適合していませんでした。焼成後の冷却過程において、釉薬が土よりも大きく収縮することで、器の縁などの角張った部分の釉薬が耐えきれずに剥がれ落ちます。
この剥離した跡に、露出した土が薄茶色に酸化した状態。これが「虫喰い」です。鑑定の際、私はこの剥離面の「ざらつき」を確認します。意図的に削られた模造品の欠けは断面が鋭利ですが、数世紀を経た本物の虫喰いは、断面の角が取れ、土の粒子が空気中の酸素と反応して安定した褐色を呈しています。これは、 硯 の組成が長い年月を経て変化するのと同様の、物質的な経時変化の証明です。
城南・城西エリアにおける収蔵品の物理的背景
杉並、中野、新宿、渋谷、練馬といった中央線・西武線沿線から、環八を越えて世田谷、目黒、大田へ、さらには三鷹、調布、狛江まで。この広域を移動するなかで、私は各地域の現場ごとに異なる「残留物の傾向」を確認してきました。世田谷、杉並周辺をはじめ、中野、渋谷、目黒、大田、三鷹、狛江、調布。その辺り全般に強いえびす屋として、事実に基づいた評価を行っています。
日本の茶道文化が「侘び寂び」という文脈でこれらの欠けのある雑器を見出した結果、何の変哲もない棚の奥で数世紀を耐え、現在の国際相場へと直結する。かつて父が別屋号で営んでいた骨董店での修行から得た知見を武器に、現在は弟と共に「えびす屋」の鑑定部門を預かる身として、 墨・紙・拓本 の劣化具合を確認するのと同様に、陶磁器の組成が秘めた情報を数字へと置き換える実務を続けています。
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